要 この記事の要点
- 相続人が相続財産の全部または一部を処分すると、単純承認をしたものとみなされます(民法第921条第1号)。相続放棄という選択肢を失うおそれがあります
- 危険なのは「引き出す行為」そのものより引き出したお金を自分のために使うこと。ただし引き出し自体も疑いを招くため、安易に行うべきではありません
- 社会通念上相当な範囲の葬儀費用への充当は問題になりにくいと説明されることが多い一方、確実に安全と言い切れる基準はありません
- 相続放棄を検討している方は、原則として一円も動かさないのが最も安全です。資金が必要なら民法第909条の2の仮払い制度をご検討ください
「凍結されると引き出せなくなると聞いたので、その前に下ろしておいたほうがいいのでしょうか」。ご葬儀の直後、西東京市・東久留米市・清瀬市・新座市のお客様から、当センターが最も多く受けるご質問のひとつです。
お気持ちはよく分かります。葬儀費用の支払いは待ってくれませんし、入院費の精算も残っています。ただ、この判断を誤ると、後から多額の借金が判明しても相続放棄ができなくなるという、取り返しのつかない事態を招くことがあります。この記事では、どこからが危険なのか、どうすれば安全に資金を確保できるのかを整理します。
「引き出せてしまう」ことと「引き出してよい」ことは別
金融機関は、名義人の死亡を知った時点で口座を凍結します。逆に言えば、知らないうちはキャッシュカードでの出金が物理的にできてしまいます。この点は死亡届を出すと口座は凍結される?で詳しく解説しました。
しかし、操作できることと、法的に許されることはまったく別の問題です。亡くなった時点で、その預金は相続人全員に関わる財産になっています。相続人の一人が独断で動かせば、他の相続人に対する責任も、法的な効果も生じます。
民法第921条第1号――法定単純承認という仕組み
相続人には、単純承認・限定承認・相続放棄という3つの選択肢があり、原則として自己のために相続の開始があったことを知った時から3か月以内に決める必要があります(民法第915条第1項)。
ところが、一定の行為をすると、本人の意思にかかわらず単純承認をしたものとみなされます。これを法定単純承認といい、民法第921条に3つの類型が定められています。
| 条文 | 内容 | 預金の引き出しとの関係 |
|---|---|---|
| 民法第921条第1号 | 相続財産の全部または一部を処分したとき(保存行為および民法第602条に定める期間を超えない賃貸を除く) | 最も問題になる条文。引き出して費消する行為がここに当たるかが争点 |
| 民法第921条第2号 | 民法第915条第1項の期間内に限定承認または相続放棄をしなかったとき | 熟慮期間を過ぎれば自動的に単純承認となる |
| 民法第921条第3号 | 限定承認または相続放棄をした後でも、相続財産を隠匿し、私に消費し、または悪意で財産目録に記載しなかったとき | 放棄した後の引き出しも危険。放棄の効力が覆るおそれ |
見落とされがちなのが第3号です。「もう相続放棄の手続きをしたから大丈夫」と考えて故人の口座に手をつけると、放棄そのものが無意味になりかねません。相続放棄の全体像は相続放棄、放棄後の管理責任は相続放棄後の管理義務をご覧ください。
「処分」と評価されやすい行為・されにくい行為
民法第921条第1号の「処分」に当たるかどうかは、最終的には個別の事情を踏まえた法的評価であり、金額の多寡だけで機械的に決まるものではありません。そのうえで、実務上の一般的な整理をお示しします。
| 行為 | 一般的な評価の傾向 | コメント |
|---|---|---|
| 引き出したお金を相続人の生活費に充てた | 処分と評価される危険が高い | 自分のために費消した典型例 |
| 故人の借金を相続人の判断で返済した | 処分と評価される危険が高い | 相続債務の弁済は相続人としての行為とみられやすい |
| 故人名義の車や貴金属を売却・譲渡した | 処分と評価される危険が高い | 預金以外でも同じ。自動車の相続参照 |
| 社会通念上相当な範囲の葬儀費用に充てた | 問題になりにくいと説明されることが多い | ただし確実に安全という基準はない。後述 |
| 故人の未払い入院費・施設費を故人の預金から精算した | 評価が分かれうる | 相続債務の弁済とみられる可能性がある。慎重に |
| 財産を現状のまま維持する行為(保存行為) | 条文上、処分から除かれている | 民法第921条第1号ただし書 |
| 引き出したが手をつけず全額保管している | 費消していなければ処分と評価されにくい | ただし他の相続人から疑われる原因にはなる |
ここで強調しておきたいのは、この表は絶対的な線引きではないということです。同じ「葬儀費用に充てた」でも、金額の水準、故人の資産状況、支出の内容によって評価は変わりえます。判断に迷う場面では、行動する前にご相談ください。
葬儀費用への充当――問題になりにくい場合と危険な場合
問題になりにくいと考えられる場合
故人の預金から、社会通念上相当と認められる範囲の葬儀費用を支払うことについては、それだけで直ちに単純承認となるわけではないと説明されることが一般的です。葬儀は故人を弔うために避けられない支出であり、相続人が自分のために財産を取得したのとは性質が異なる、という考え方によるものです。
実務上、次の条件を満たしていれば、比較的リスクが低いと整理されています。
- 支出の内容が、通夜・葬儀・火葬など弔いのために必要な費目に限られている
- 規模・金額が、故人の生前の社会的地位や資産の状況に照らして過大でない
- 領収書・請求明細がすべて保管されている
- 引き出した金額と支払った金額が対応しており、余剰を手元に残していない
危険な場合
一方で、次のようなケースは危険度が高いと考えてください。
- 資産状況に照らして明らかに豪華な葬儀を行い、多額を故人の預金から支出した
- 香典返しや法要、墓石・仏壇の購入費など、葬儀そのものとは区別される支出まで含めて故人の預金から出した
- 引き出した金額のうち余った分を相続人が自分の口座に入れたままにしている
- 領収書がない、または現金でやり取りして記録が残っていない
- 他の相続人に一切知らせずに行った
なお、相続税の計算上は、葬式費用が一定の範囲で債務控除の対象になります(相続税法第13条)。ただし、これは税金の計算の話であって、民法上の「処分」に当たるかどうかとは別の判断です。控除の対象になる費用の範囲は葬儀費用と相続税をご覧ください。
やむを得ず動かした場合の記録の残し方
すでに引き出してしまった方、あるいはどうしても支払いを待てない方は、記録を徹底的に残すことがご自身を守る唯一の方法になります。当センターでは、次の書類をひとまとめのファイルにして保管するようお願いしています。
| 残すもの | 目的 |
|---|---|
| 出金時の通帳の記帳・ATM明細 | いつ・いくら引き出したかを客観的に示す |
| 支払先の領収書・請求書の原本 | 何に使ったかを費目ごとに立証する |
| 出金額と支出額の対応表(手書きで可) | 差額の有無を明確にする |
| 残金の保管状況(別口座・封筒など) | 費消していないことを示す |
| 他の相続人へ知らせたメール・書面の控え | 独断ではないことを示し、後の紛争を防ぐ |
とくに重要なのが最後の一項目です。当センターに寄せられる遺産分割のご相談では、金額そのものより「黙って動かされた」という不信感が対立の火種になっている例が目立ちます。事前でも事後でもよいので、必ず他の相続人へ書面やメールで共有してください。遺産分割が難航した場合の進め方は遺産分割がまとまらないときをご参照ください。
相続放棄を検討している方へ
ここまで読んで、少しでも「借金があるかもしれない」と感じた方は、原則として故人の財産に一切手をつけないでください。これが最も安全です。
とるべき順序は次のとおりです。
- 財産と負債の全体像を調べる(相続財産調査)。預貯金、不動産、保険のほか、消費者金融・信販会社の借入れ、連帯保証の有無も確認します。
- 3か月の熟慮期間を意識する。調査が間に合わないときは、家庭裁判所に期間の伸長を申し立てることができます(民法第915条第1項ただし書)。
- 放棄・限定承認・単純承認を選ぶ。負債のほうが多ければ相続放棄、判断がつかなければ限定承認という選択肢もあります。
- この間、故人名義の口座からは出金しない。公共料金の支払いは、相続人ご自身の口座に切り替えて対応します。
公共料金や携帯の切替え方法は故人名義の公共料金・携帯・サブスクはどうする?にまとめています。
正規の手段――民法第909条の2の仮払い制度
「では、どうしても当面の資金が必要なときはどうするのか」。そのために設けられているのが、遺産分割前の預貯金債権の行使、いわゆる仮払い制度です(民法第909条の2)。
各相続人は、相続開始時の預貯金債権額の3分の1に自分の法定相続分を乗じた額について、単独で払戻しを請求できます。ただし1つの金融機関あたりの上限額は法務省令で定められており、150万円です。
| 前提 | 計算 | 払戻可能額 |
|---|---|---|
| 残高600万円・相続人は子2人(法定相続分各2分の1) | 600万円 × 1/3 × 1/2 = 100万円 | 100万円 |
| 残高1,200万円・相続人は子2人 | 1,200万円 × 1/3 × 1/2 = 200万円 → 上限適用 | 150万円 |
| 残高300万円・相続人は配偶者と子1人(各2分の1) | 300万円 × 1/3 × 1/2 = 50万円 | 50万円 |
払い戻した分は、遺産の一部の分割によって取得したものとみなされます。つまり最終的なご自身の取り分から差し引かれる扱いです。制度の詳細と必要書類は預貯金の払戻し制度(仮払い)、ゆうちょ銀行での取扱いはゆうちょ銀行の仮払いをご覧ください。
ただし、相続放棄を視野に入れている方は、この制度の利用も慎重にご検討ください。払い戻したうえで費消すれば、民法第921条第3号の「私に消費し」に当たると評価される余地が残ります。放棄の可能性が少しでもあるなら、動かさないという判断が最も確実です。
まとめ
凍結前に引き出せてしまうことは、引き出してよいという意味ではありません。引き出したお金を費消すれば、民法第921条第1号により単純承認をしたものとみなされ、相続放棄という選択肢を失うおそれがあります。相続放棄の後であっても、第3号によって放棄の効力が覆されることがあります。
社会通念上相当な葬儀費用への充当は問題になりにくいと説明されますが、確実に安全と言い切れる基準はありません。動かすのであれば領収書と対応表を残し、他の相続人へ必ず共有してください。そして、資金が必要なら民法第909条の2の仮払い制度という正規の手段があります。迷ったときは、動かす前にご相談いただくのが最善です。
▶ 葬儀費用の支払いのために、故人の口座からお金を下ろしてよいか迷っていませんか?
引き出し方と使い道によっては、相続放棄ができなくなることがあります。財産と負債の全体像を確認したうえで、安全な資金確保の方法をご提案します。
西東京市ひばりが丘の相続サポートセンターなら、戸籍収集から遺産分割・不動産名義変更・相続税申告まで、税理士・行政書士・司法書士が連携してワンストップで対応します。初回相談は無料です。まずはお気軽にご相談ください。
よくある質問
Q. 葬儀費用のために引き出したのですが、相続放棄はできなくなりますか?
直ちにできなくなるとは限りません。社会通念上相当な範囲の葬儀費用への充当については、それだけで単純承認となるわけではないと説明されるのが一般的です。ただし、金額が過大な場合や、葬儀と区別される支出(香典返し・法要・墓石購入など)に充てた場合、余剰を手元に残した場合には、民法第921条第1号の「処分」と評価される危険があります。領収書と対応表を保管したうえで、放棄をご検討であれば早めに専門家へご相談ください。
Q. 引き出しただけで、まだ一円も使っていません。それでも危険ですか?
費消していなければ「処分」と評価されにくいと考えられますが、安心はできません。他の相続人から使い込みを疑われる原因になりますし、そのまま生活費に紛れてしまえば区別がつかなくなります。全額をそのまま別に保管し、出金明細と保管状況を記録したうえで、他の相続人へ速やかに知らせてください。
Q. 相続放棄をした後なら、故人の口座からお金を動かしても問題ありませんか?
問題があります。民法第921条第3号は、限定承認または相続放棄をした後であっても、相続財産を隠匿したり、私にこれを消費したりしたときは単純承認をしたものとみなすと定めています。放棄をしたからこそ、故人の財産には一切手をつけないでください。
Q. 当面の生活費が足りません。正規の方法はありますか?
民法第909条の2の仮払い制度があります。相続開始時の預貯金債権額の3分の1に自分の法定相続分を乗じた額について、遺産分割の前でも単独で払戻しを請求できる制度で、1つの金融機関あたり150万円が上限です。必要書類や所要期間は金融機関により異なりますので、最新の情報は各金融機関の公式サイト・窓口でご確認ください。なお、相続放棄をご検討中の方は、この制度の利用も慎重にご判断ください。